映画:イーストサイド・寿司

Amazon Primeの会員なので、2020年11月にTVが見れなくなってからはPrime Videoが映像娯楽の中心です。

(TVが見れなくなったのは、ずっとStationTVというのを使ってPCでTVを見ていたのですが、何も考えずにPCのOSをバージョンアップしたら対応しなくなってしまったからです。だからと言ってTV買っても置く場所ないしどうしようかなと思いつつ、特にTVなくても生きていけているのでズルズルきています)

 

それで何が問題かというと、自分と同じ時期に同じ作品を見ている人が周りにいないということです。

有名な作品とか話題になったものなら多少時期がずれても「遅ればせながら私も見ました」的な感じでいけると思うのですが、自分でもなんでかわからないけど行きあたって見ちゃったものはそうはいかないので(個別の人には他に話さないといけないこともたくさんあるから時間もないし)、ここでそっと話したいと思います。

別に話さなくても自分の中で思っておけばいいんじゃないかとも思っていたのですが、なんだかやっぱりどこかで言わないといつまで経っても自分の中で話が終わらないので次に行けないみたいです。ちょうど他人にわかるように文章を書く習慣をつける方がいいという話を聞いたということも理由の1つとしてあります。

 

では、本題。

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イーストサイド・寿司(2015年)

提供 Samuel Goldwyn Films

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07VDYZ96W/ref=atv_dp_share_cu_r

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私はAmazonPrimeに食べ物の話が好きだと思われているようで、だからお勧めされたのではないかと思っていますが、米国カリフォルニアに住むメキシコ移民の女性(シングルマザーで、母1人娘1人と祖父[本人の父]の計3人の家族の大黒柱)が寿司職人を目指すことで、それまでのアルバイト中心で苦しい生活から一歩抜け出すお話でした。

 

それでお父さん(主人公の父、家族構成上は祖父)が、主人公の行動に対して、そうではなくてメキシコ移民としてオーソドックスな方法(タコスの屋台を出すとか、アルバイトの労働時間を増やすとか)を推奨するのですが、その様子がまさしく私の知っている日本の田舎と同じで、車のエンジンを直そうとしているシーンの2人の様子には私が幼い頃に体験した憤りを思い起こさせられました。

でも、お父さんも悪気があるわけではないので、憤ったからといって、(主人公は私の価値基準でいくと明確には憤りを表明しませんが)憤りを表明したところで問題は解決しないのです。

それは、お父さんはお父さんの世界の中ではベストな方法を推奨しているわけで、娘を困らせようと思っているわけではないからです。自分が知らない方法を考える、探す、聞くというような選択肢は存在しない世界、その存在を認めてしまうと生きていけなくなってしまう、というのは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも生きづらくなってしまう世界が存在すると私は思っています。でも、私はそこでは生きていけないので、そこで生きている人がどんなにいい人たちで、私がそこで生きていけるように協力して支えてくれたとしても、やっぱり生きていけないことには変わりないから、どこかで自分で決断しないといけないということを思い出しました。

 

私は今、どんな仕事をして生きていくか?ということについて考えて今の時点での答えを出さないといけない状況にあるのですが。

要するに転職したくて仕方がないけど、どんなところに転職したいかという具体的なイメージが描けない残念な状況にあるのですが、

今の場所に留まれる期限が迫っているのを切々と感じていて焦っています。

でも、それも自分で決めるしかない!という、当たり前のことだと思いますが、それを思い起こさせてくれた映画(?)でした。

 

ということを言いたくて仕方なかったんだと思います。

 

 

たぶん「他人にわかるように文章を書く習慣をつける方がいい」というのは、()書きなしで同じ話ができるようになるようにということですよね。

難しい。長くなってしまうけど、気をつけてみたいと思います。