言語が違っても人間の反応の大枠のパターンは大体同じだと思うから、その解釈にはちょっと違和感があると思うことがあります

何かに対して

・積極的な肯定、参加の意思

・肯定、参加の意思

・嫌ではない、余裕があれば参加する

・嫌だ

という4種類が、人間の反応の大枠じゃないかなと思っています。

 

それで、たぶんこの4つを表すときに普通なんと言うかが言語とか文化によって違うんだろうなというのが私の理解です。

 

だから、どっちの表現がすばらしいとかそういう話じゃないと思うんですよね。

 

 

私は別に研究者じゃないので、ちゃんと調べて分類したりしたわけではないのですが、日本語が母国語で日本語が話せると言っている同士で日本語で話しているときに、日本語として普通だと思われる言い方で反応したものを、英語の世界で解釈してネガティブだとか言われたりすると衝撃を受けるというか。

4種類の反応を示すときの言葉って、別に同じ日本語でも地域とか方言、場合によっては個別の小さなグループ(会社とか)によっても違うと思うのですが、最初はそれで微妙に取り違えがあったとしても、やりとりをしていく中で相手が所属している文化の中でのその言葉の意味とか、相手の意図とかがわかっていって、お互いの微調整があって会話が成立していくんじゃないでしょうか。

 

 

それを一方が優れていて他方が劣っているというような見方をするのには違和感があります。

 

 

 

と、書いていて思いましたが、

 

もしかしたら、私が話した相手は英語で話すときに日本語の世界で言葉を使ってしまって失敗したことがあるのかもしれないですね。

でも、もしそうだとしても、それは日本語で話しているときに突然、一方的に英語のルールを適用していいことにはならないと思います。

 

 

 

というわけで、母国語じゃない言語を大人になって習得するのは難しいなと改めておもいますが、生活のために10月のTOEIC Speaking&Writingのテストを申し込みました。

 

とりあえず、自分の現状の客観的評価がないと、どうにもこうにも動きづらいので、がんばりたいと思います。