悩んだら分けて1つずつ考えなさいという助言に未だ賛同できません

難しくて、自分の理解の範囲を超えている物事については、最小限の単位まで分割もしくは分解して、分けて1つずつ考えなさいみたいな考え方があると思うのですが、どうもそれが私にはしっくりきません。

 

たぶん、中学生のときに、x=a+bのときにy=、、、みたいな問題を解かされ始めたときから。

 

 

 

何かについて、私より経験が豊富なある人に「、、、っていう状況なんですけど、どうしたらいいですかね?」みたいに聞いたら、「分けて考えてみたら?」とアドバイスいただいたことがありまして、私にとってそれは想定外の返答だったのでポカーンとしたことがあります。

 

一応、私の世界の中では最大限の譲歩をして

「わけて考えても、そのあとまた足さないといけないから意味なくないですか?(そんなに複雑な話じゃないし)」

とさらに聞いてみた後、
たぶん「いや、とりあえずやってみよう」みたいなことを言われて、その人がいうならたしかにそうかもしれないと思って、

「分けて考えたら、こっちはこうで、こっちはこうですね。それで、どうしたらいいのでしょうか?」

みたいになって、その後の記憶は定かではありません。

本当にそのあとその問題はどうなったのでしょうか?ちょっと怖いですね。たぶん何とかしたと思いたいです。

 

 

 

いずれにしても、これが私の「最小限の単位まで分けて1つずつ考えなさい」問題です。

 

 

 

x=a+bのときにy=、、、みたいな問題を解くときに、先生によっては、大した複雑性もないのに、ちゃんと過程の式でa+bをxに置き換えてないとダメだとかいう人がいて、私はx=a+bとかいうことをいちいち覚えておく方が面倒臭いと思う方だったので、(それこそ面倒くさいから声に出したことはありませんが)本当に面倒臭いな、意味あるのかなとずっと思っていました。

(思いがけず、プログラムというほどでないけど類したものを自分で書かなければならなくなってしまった今となっては、a+bをxで置き換えられることがいかに素晴らしいかということを日々感じています。しかしながら、当時はそうではなかったので全く意味がわかりませんでした。

今、気づきましたが、「x=a+bとかいうことをいちいち覚えておく」という発想がそもそも、かみ合っていないのかもしれないですね)

 

 

 

私はノルベルト・エリアスの「文明化の過程」というのを学生のときにゼミで読んだのですが、本の本編というか目次の前に著者の人がちょっと内容を紹介してくれている部分で「最近の主流派はとりあえず分割しさえすればいいみたいなことを言っていて、長期の流れみたいなものを軽視している」的なことを言っていた記憶があります。

文明化の過程〈上〉ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷 (叢書・ウニベルシタス)
詳細はこちら:
https://www.amazon.co.jp/dp/4588099051/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_NQM7BRQ46FK1WG0BACTW

←本当かどうかはご自分でお確かめください

 

 

私はその意見には賛同しています。

 

 

 

物事がそれ単体で存在することはありえないので、少なくとも分けて考えるだけでは問題は解決しないというのは、一定の賛同を得られるのではないでしょうか。

違いますかね。

 

 

 

 

ここ数年、私が考えても解決できていない問題の1つは、

どうも1階層でしか物事を考えられないみたいだなと思われる人(x=a+bだったという前提を忘れてしまえる人)がいて、
でも、一緒にやろうとしていることはそんなに単純じゃないから(x=a+bのときと、x=a+cのときでyの値は違うから)、その人と上手くやっていくにはどうしたらいいのかな

ということです。

 

 

なんとなくこの問題は、「最小限の単位まで分けて1つずつ考えなさい」問題と繋がっているような気がしています。

 

 

もちろん、一度で考えるには複雑すぎて、、、という物事を考えるときに、自分が一度に考えられる単位に分けていくというのはわかるのですが、でもそのあと、また戻さないといけないんじゃないかなとやっぱり思ってしまいます。

分けて考えて出てきた答え(結論)は、分けた範囲の答え(結論)でしかないから、元の問題の答え(結論)ではないと思うのですが、そういう話じゃないんでしょうか?

 

 

 

やっぱりしっくりこないです。