作り手自身が若き天才であるがゆえなのか、アメリカ映画にしたって極端な「才能とハングリーさ」への絶対的確信に、ただただ圧倒されてしまう……編集の切れ味にも脱帽!
ライムスター宇多丸 [ラッパー/ラジオパーソナリティ]
映画そのものにも感銘(?)を受けましたが、このコメントにすごく納得してそうかと思いました。
「才能とハングリーさへの絶対的確信」
アメリカ的だと思います。
(コメントされた方と私の理解が同じかはちょっとこのブログを書いていたら自信がなくなってきたのですが。でも)
しかしながら、例によって私はアメリカ的なものにあまりしっくりきていないので、映画には感動するのですが、現実では受け入れ難いです。
なんだかものすごく有名?で評価されているらしい指揮者の人に選ばれるために、若いドラムの人がいろんなことを犠牲にしてがんばる話だったと理解しています。
そんな世界で生きていけたら幸せかもと思わないではないですが、
才能のある人間と、ハングリー精神のある人間だけで世界は成り立っていないし、
どちらかというとそういう人たちは少数派なんじゃないかというのが私の実感です。
映画とか、一種の現実離れしたストーリーとして見る分にはまったく問題ないし、感動すら覚えるのですが、
(というか、そこで生きていけたらすごく楽で幸せそうと思ってしまいます。そのこと以外は考えなくていい。考えなくても許されるわけなので。でも!)
現実ではない。
それに感動するのはそれがストーリー(架空の物語?語られるべき形に整えられた物語?)だとわかっているからであって、それが現実ではないことは前提となる共通認識だから、それについて楽しく話せたりするのに、
そこの前提が共有できずに生きている人がその会話に入ってきたときに
どう対応したらいいのか
今、わからなくて困っています。
おそらく、私自身がずっと困らせる側の人間で、私とは違う認識で世界を見ている人にとっては今もまさにそうなんだと思うのですが、
一応、私としては同じ位置に立てば理解を得られるのではないかな、大多数から(同意はしてもらえなくても)。と勝手に思っている範囲でやっていて、
その私の想定の範囲を超えた人、
というか私の想定できるマジョリティの賛同を得られない上に、その主張そのものにも賛同できない人と、
どう対応するのか?
しかも、その人は、その人の世界(=“アメリカ”(ここは比喩))の中では、その対応・思考で受け入れられているらしいのです。
私の今の理解における“アメリカ”(ここは比喩)は、「才能とハングリーさへの絶対的確信」を持ちながら、同時に才能がない人間がいると思っているように思われて、才能がない可能性はないと思いたい私としてはちょっとなかなかハードルが高いな、だから私、アメリカにあんまり行ってみたいと思わないんだなと思った次第でした。
とかなんとか言いながら、冒頭の引用コメントを目にするまでは(先に映画をみたのですが)、「ああ、こういう世界で生きていきたい」と思ってしまっていました。
もちろん実際には、映画に出てくるような過酷な状況には決して耐えられません。というか、たぶんあの学校の前に立った段階で「あ、これ私、無理なやつ」と悟って、でもテスト当日に受験しない勇気はないから適当に受けて落ちて「よかった」と思うパターンです。
というわけで、いろいろ思ってしまいました。
Amazonでもうすぐ見放題終わるらしいと思って書いたけど、気のせいだったみたいです。何かの縁ということで