大量の単純作業を乗り切るには歌が必要なんだと思う

数カ月前、どうしても避けられない大量の単純作業が発生しました。

 

本当は、ちゃんと落ち着いて考えて、パッと一括でやってくれる式を考えられればよかったんだと、手をつける前からわかっていたけれど、
手をつけなきゃ!となったときにはすでにあと半日くらいしか時間がなくて、
私の能力では、とりあえずちょっと式を考えてみてやっぱりダメだとなって全部手作業でやる判断をするという猶予すらない(手作業でやるとなったらもう今始めないと間に合わないし、パッと一括でとまではいかなくても何かしらの時短になる式を思いつきそうな気配もすら切羽詰まりすぎて自分自身から感じられない)状況だったのです。

 

 

今は、日々とにかく楽をしたいと思いながら生きているのに、まあこのくらいならすぐに終わるしと思って楽をする方法を考えるのを放棄してたまに手作業を採用して、楽をする方法を考える労力を惜しんでしまっていた自分を本当に反省しています。

 

 

 

その単純作業は2つの別々のファイルのデータを付き合わせて、微妙に差し替えしながらコピペして1つのデータファイルを作るというものだったのですが、

これは単純すぎてヤバいやつ(=無駄に頭がこんがらがって、失敗したり、時間かかったりする)という予感が作業手順を思い浮かべた段階からすでにしていて、

私が自分史上、過去最高のスピードでコピペしたとしても間に合うかどうかという時間しかないという危機的な状況を自覚したとき、

なんでか知らないけど「これは歌わないといけない!」「歌いながらやるしかない!」という確信めいたひらめきがやってまいりました。

(パッと一括でやってくれる式のひらめきはこなかった)

 

 

それで、幸いテレワーク日だったこともあり、3時間くらい1人で歌い続けて乗り切ったのです!

 

 

歌う歌は、頭を使わずにスムーズに歌える歌じゃないといけないのですが、私は普段、音楽を聞くことはあっても歌うことはないし、カラオケも5年に1回くらい行くかなくらいだから選択肢がなく、最初は中学生のときに合唱で歌わされた中で1番覚えている歌をわざわざ検索して歌詞に一通り目を通して、すっと出てきたところだけ繰り返し歌ったりしました。

(『風になりたい』という『コットンの白いシャツを真夏のように着て、、、』で始まるやつです)

 

思い返すと、その時間、落ち着いて式考えたら、もしかしたら思いついたかもしれないと思わないでもないですけど、そのときは焦っているので歌う方が簡単で確実だと思ったんですよね。たぶん。

 

 

 

しかしながら、中学生のときの記憶なので1曲全部は空で歌えないし、伴奏的なもののサポートもないから、ものすごく短い一部をひたすら繰り返す、しかも自分の下手くそな歌のみでということしかできなくて、途中で限界を感じまして、
PCに入っていた曲で、なんとなくでもいいから歌えて、しかも私の最大限のコピペスピードに合った曲(曲に引っ張られてコピペスピードが落ちないテンポの曲)を探した結果、中学だか高校だかの音楽の教科書に載っていたHey Judeビートルズ)を何往復も歌うことになりました。

こんなにHey Jude歌うことになるなら、ちゃんと学校で習ったときにちゃんと習ってそれなりに歌えるようになっておくべきだったと思いながら。

Hey Judeのダン・ダン・ダンというテンポの中で、1回のコピー範囲の認識からペーストまでの1ターンがピッタリくるという作業イメージです。そして、歌ったと言いながら、実際はHe Jude, don't let me down,,,のあと、Da, daしか言ってません。Da, da言いながら、前後に揺れてただけです)

 

 

 

 

 

そうした辛い経験からですね、私は理解しました。

大量の単純作業を乗り切るには歌が必要なんだなということを。

 

 

 

 

よく、昔の重労働の話は歌がセットであるじゃないですか。

私の身近なところでいくと、炭鉱ですけど。
いつだったかの旅するイタリア語では塩田の労働者の歌が出てきたし、もののけ姫に出てくるお湯揉みみたいにして足踏みでやるやつ(あれは火に空気を送っているんですかね?)も歌ってそうだし、どこかの温泉場で有名なお湯揉みは歌ってますよね?
あと、旅するイタリア語では、漁師の人も網巻くときに歌う歌があるって言ってました。日本でもありそう。

そこまで大規模じゃなくても、昔の洗濯場とかはそれぞれ歌があったんじゃないかな?

(水場が共同でしかなくて、みんなで洗濯板持って集まって洗濯するあれのことです)

あ、あと茶摘みの歌がありますね。

 

 

 

 

歌って大事だなと。

 

 

 

私に限って言えば、なんで歌が必要だったかというか、なんで歌が必要なのかと考えながら作業してたのですが、とりあえずの結論としては、

作業が単純すぎて頭を使っちゃうと困っちゃう(なんでこんな作業をしてるのかしら?とか、あれ?これでいいの?とか考え始めたら集中力がそっちに持っていかれて作業の精度が落ちる)けど、手と目は最大限使わないといけない、つまり手と目を使うための頭だけは異常に疲れるけど、別に何か考えているわけじゃないから考えるところの頭はまったく疲れなくて、頭の中の疲れるバランスがおかしくなって、ますます頭がおかしくなっちゃうのを防ぐために、手と目を動かす以外の頭の部分を程よく使う必要が出てきて、歌う必要があるんじゃないかな

と思っています。

 

 

 

 

私は暗算が得意じゃなくて、未だに5+8とかは不安で仕方がないのですが、

そういう計算とか、時間換算とか、スケジューリングみたいなことがちゃんと計算できている(実現は別として)ときは、ちゃんと自分の頭の前の方が使えている感覚があって、

上手くできないときは前の方で考えられなくて、後ろの方でそれをなんとか考えようとして、5+8だと8は5と3だから5と5で10で、あれ?5の残りはなんだったっけ?5+8だから5と3で、さっき5+5になって10は確認したから、8の残りは、8は5+3だから、5+5の残りだから、5のなんの残りだっけ?8?本当に8だった?5+8だから、、、みたいに無駄に繰り返している感じがします。

 

 

 

なので、勝手に頭には役割分担があると思っているんです。場所によって。

 

 

 

それでまあ、本当かどうかは別にして、私の世界の中では「大量の単純作業を乗り切るには歌が必要なんだ」と思います。

数カ月前の経験以降、労働歌ってそうやって生まれてきたんだろうなとか。歌がないと乗り切れない辛い単純作業だったんだな、あの感覚か、とか、勝手に親近感を持っています。

 

 

ちゃんと自分の状況を安定させて、私の勝手な頭の役割分担説が本当のところはどうなのかとか、検索したりする余裕のある生活がしたいですが、それに向けた第一歩として、ブログ書いてみています。